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1955年 昭和30年 9月某日
東京、世田谷区の牛乳屋の長男として誕生。
写真) 背景は当時の世田谷、中里から三軒茶屋(!)方面。
50年前の246号線は高速も歩道も無い。 地面もまだ
舗装されていない(!)。
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1967年 昭和42年
小学校6年、自分の進路は漫画家と決めていた。 担任の先生(写真
左上)は「頑張れよ」と励ましてくれたが、10年後に同窓会で会った
時、私が漫画家アシスタントをしていると知った先生は「本気だったと
は・・・あの時止めさせておくべきだった!」と、落ち込んでおられた。
写真) 中央が私、左上が先生。私の夢を真に受けていなかった |
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1968年 昭和43年〜1974年 昭和49年
中学、高校 たいくつな生活・・・ そんな中での貴重な体験といえば、
やはり、文学を教えてくれた田中先生との出会いか・・・・・。
当時、頭にあったのは漫画の事だけ(Hな事も少し・・・)。 中学3年
よりバイト(映画館のキップ切り)を始める。
写真) 友人たちと神奈川県の三浦海岸へ行った時のもの。
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1974年 昭和49年 18歳の頃
大学を1年の前期だけで中退(正確には除籍)。
漫画家になるために自立。 フリーターを始める。
原稿) 当時、制作した漫画のキャラクター。 同人誌用なので、
薄ズミを使用。 |
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同年 昭和49年
19歳、 はじめての漫画家アシスタント。 先生は少女怪奇漫画家の
さがみゆき先生。 単行本一冊分、3,4ヶ月のお手伝いでした。
原稿) さがみゆき先生作「人喰い屋敷」(ひばり書房)の見開き
タイトル部分。 この一冊だけのお手伝いでした。 |
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1975年 昭和50年
20歳、ビル清掃、バス添乗員等のアルバイトを経て、かわぐちかいじ
氏に師事。 この当時の氏は今ほど有名ではなく、師事する私自身
その名を知りませんでした。 近くに住む漫画友達の紹介でアシスタ
ントになりました。 背景技術はここで、みっちり仕込まれました。
原稿) 単行本「人喰い屋敷」のあとがきに描いたイラストです。
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1976年 昭和51年 21歳
漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには事欠かない村野守美先生
に師事。 一週間だけのお勤めでしたが、その強烈な印象は生涯忘
れる事は無いと思います。
写真)この当時住んでいた高円寺のアパートの自室座卓です。
銀嶺荘・・・ 美しい名ですがボロボロのアパートでした。 |
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1978年 昭和53年 23歳
ジョージ秋山先生の秋山プロへ入社。 当時「浮浪雲」(ビックコミック
オリジナルに連載中)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの主演
でTVドラマ化されたり、真崎守監督で劇場版アニメ化されたり、橋幸
夫の舞台になったり・・・と。 そんな時代が今はなつかしく・・・。
写真)秋山プロ入社当時の写真です。場所は仕事場の窓辺。 |
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